宮内 淳[Miyauchi Jun]

愛媛県生まれ。文学座演劇研究所卒業。1975年、NTV「太陽にほえろ!」で俳優デビュー。テレビ番組で世界80数カ国をまわり、人間本来の生き方にふれて歩いた経験から、地球環境問題と子どもの情操教育にも力を注ぐ。現在「影絵劇団かしの樹」主宰。影絵劇団かしの樹では、1992年に明石康・国連特別代表の協力のもと、カンボジアにて民間P.K.O.第1号公演を敢行、また国連表彰を受けた坪田愛華作「地球の秘密」を影絵ミュージカルとして全国公演。1995年には <世界子ども環境会議> 準備委員長として、英国サッチャー首相を埼玉県に招聘。その後、「公益財団法人地球友の会」 代表理事として、日本におけるUNEP(United Nations Environment Programme=国連環境計画)の普及活動を展開中。

では早速。改めて宮内淳さんの経歴についてお聞かせください。生まれから、いまの仕事につながるまで。

ぼくの場合は地球だった

宮内 生まれたのが愛媛、松前町まさきちょうなんだけど、もう小学校からはずっと大阪。阿倍野区です。南海平野線に苗代田という駅があって、その駅の真ん前。そこにずっと高校生までいた。それで大学は福岡のほうに行って、2年ぐらいで卒業してね(笑)
それから芝居をやろうと東京に出てきて。文学座に入って、1年ぐらいで、すぐスカウトされてね。『太陽にほえろ!』のボン刑事役でデビューして、それから2、3本主役やらせていただいて、それからはもう芝居を辞めちゃって、そのつぎに、テレビ番組で秘境といわれるような世界のあちこちを10年くらい周った。世界中を行かせてもらったっていうのは、ぼくにとっては青春時代というか、それが一番の財産というか。

interview vol.1 地球友の会 宮内 淳氏

やっぱり人間というのは、生きていくなかで、青春時代にいちばん感銘を受けたとか、すごくショックを受けたとか、なにかそういう人生の転機みたいな、そういうものが必ずひとつふたつあるはず。ぼくの場合、それが地球だったっていうか、そこからだんだん自分が進化し始めて、それがどんどんどんもっともっと進化していくっていう。そういう人生を自分は歩んでるんだろうなって思う。

いまやってる影絵劇団「かしの樹」は芝居やってる頃につくったものでね。芝居仲間は芝居だけでは食っていけないのが多かったから、なんとか食えるようにしようと。まあとにかく、芝居を辞めてからは世界を周った。そこらじゅう周りきったあとにつくったのが地球友の会
地球とか宇宙とか自然とか、そういうなかのひとつとして人間がある。それ抜きでは生活もできないし、人生歩むこともできない。そうすると、宇宙を知ることとか、地球を知ることとか、そういったことがまず大事。そのなかでも地球に住んでるわけだから、まず地球を知るっていうことは、これはやっぱり一番大事なことだろうって。それで地球友の会っていうのをつくったんですよ。

俳優っていうと、スターになろうという考えは?

宮内 芝居をはじめて、ドラマに出てね。いざ、そういう立場になってみると、スターよりももっと大事なものがあるなって思った。人間てね。階段のぼって、2階に上がったら「あ、なんだまだ上があるんだ」って思って3階に上がって、「なんだ、また上あるんじゃないか」となって4階、それで「まだまだあるな」という、そんな感じで、でもやっぱり2階に上がってみないと2階の高さはわからない。小さい頃は「2階に上がると危ないからだめよ」なんて言われていたら、上がってみたいなと思うわけじゃない。でも上がってしまうと「なんだこんなもんか」と思って、「じゃ3階のほうがいいな」とか。

interview vol.1 地球友の会 宮内 淳氏

人間て不思議な動物でね。やっぱり同じところにじっと留まってるっていうよりも…例えば、俳優をずっとやってる人がいるけど、そういう人はいろんなことはやらないけど俳優しかやらない、その代わり、ずっと深くやる。だから実は、同じ所に留まっちゃいないんですよ。どこかよそに行くか、下に行くか深く行くか。同じくらいのところにずっといる人っていうのは、ちょっと人間の本性とずれてるんじゃないか。人間の本性って常に進化したいっていう…。そういうの、あるんですよ。それで、なんで進化したいんだろうなっていうふうに思うとね。他の動物は別に進化したいとか思ってなくて、同じ繰り返しをやっていてもかまわない。でも人間だけは繰り返しが好きじゃないのね。常に進化していたいっていうのがあるはずなんだ。

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