スクラム釜石座談会

スクラム釜石座談会

発足から1 年半。震災を機に東北、釜石、ラグビーを愛する人 たちで結成された“スクラム釜石”。今回は座談会形式で、こと のはじまりから復興、への想い、そしてラグビーの魅力など、代 表の石山さん、事務局長の高橋さんを中心に、いろいろと語っ ていただきました。これを読んだら、ラグビーが見たくなるかも!?

スクラム釜石座談会メンバー

こちらの方々にお話をお伺いしました

  • 代表 石山 次郎

    代表 石山 次郎

    1957 年秋田県生まれ。秋田県能代工業卒業後、新日鐵へ入社。現役時代はプロップ。日本代表キャップは19。新日鐵釡石ラグビー部の日本選手権7 連覇を支え、「鉄人にして哲人」「寡黙なる勇士」といわれた。1988 年引退。現在は日鉄パイプライン株式会社勤務。

  • 事務局長 高橋 博行

    事務局長 高橋 博行

    1956 年秋田県生まれ。秋田県秋田工専卒業後、新日鐵に入社。現役時代はフランカー。新日鐵釡石ラグビー部入部時はラグビーはほぼ素人であったが、猛練習によりレギュラーを獲得し、日本選手権7 連覇に貢献。’ 88 年引退。現在は新日鐵エンジニアリング(株)勤務。

  • 早川 弘治

    早川 弘治

    静岡聖光学院/東北大学ラグビー部OB。NSC ラガー主務。スクラム釡石のミーティングでは、ファシリテーターとしてメンバーのさまざまな意見をまとめあげる。

  • 三笠 広介

    三笠 広介

    釡石南高校/東北大学ラグビー部OB。学士ラガー倶楽部。震災後いち早く、8 大学ラグビーのメンバーに呼びかけるなどして行動を起こす。そして実は、なかぴー(東京版)の中の人

  • ライター 永田 洋光

    ライター 永田 洋光

    スポーツライター。「鉄人たちの雌伏―釡石ラグビーの新たな挑戦」(ティビーエス・ブリタニカ)著者。メール マガジン『ラグビー!ラグビー!』にて情報発信中。

一, 東北、釡石、ラグビー。これらを想う者たちが、一堂に集結。

石山 東日本大震災の現地を見た時、
これはもう大変なことになってしまったんだと…。
もう、本当に、声が出ない。
「なにか、できることはないか」
「どうにかして、人を集められないか」と。
そう考えているうちに、
自然とラグビーをやってたみんなが集まった。

震災時、職場も釡石から離れていましたので、
直接震災の影響を受けたわけではありません。
ですが、震災とは関係ないだなんて言えません。
あのとき釡石にいなかったからって、知らんぷりはできない。

石山 次郎

有村 強い想いを感じますね。

石山 高校のとき、ラグビーをしていましたが、
わたしが通っていた能代工業は、バスケットボール日本一の学校でね。
ラグビーは、花園とか全国大会とか、まったく縁がないところでした。

釜石製鉄所(ラグビー部)はうちの高校に、バスケットの選手をスカウトに来てたんです。
日本一のバスケットをやっている学生たちにラグビーをさせたら、
きっと面白いんじゃないか。
なにか可能性を持っている学生がいるはずだと。

ところが、バスケットの選手たちでラグビーに転向するっていう学生はいなくてね。
たまたま、ラグビー部にこういうのがいるよ。
って、わたしのところに話が来て。
それで、本当に偶然、拾ってもらったというわけなんです。

有村 そうだったんですか。

石山 ラグビーに力を⼊れている釜石製鉄所に拾ってもらい、
いろんな⼈たちと出会って…、
チームメイトやコーチの皆さん。
いい条件やタイミングが重なったこともあって、
何度か⽇本⼀にもなれたし、⽇本代表にもなることができました。

そのときの仲間たちと、できることはなにかないか…ってなったとき、
やっぱりラグビーを通じて、なにか釜石に対して恩返しがしたいなと。
それが、スクラム釜石発足のそもそものきっかけです。

有村 なるほど、そうしてかつての仲間が集まった…と。
それまでは、ラグビー部OBが集まるようなことはなかったそうですね?

有村正一

石山 まったくなくて。
はじめてでした。
そのときはね、博行さん(高橋)が三笠兄弟とちょっと連絡を取り合っていて、
8大学の人たちが何かやるみたいだよ。何か一緒にできないかな」と。
何ができるかわかんないけども、一度ちょっと話してみようかっていうことで。
まずは何のテーマもないけど、
お互い「なにかできないものか」っていう気持ちで集まった。

高橋(博) 現地にいないわけじゃないですか。
仕事はあるし、被災地に⾏きたくても⾏けない。
こっちでやれること、何かないのかなっ…て、ずっと思っていたところなんです。
でもたぶん、我々だけだとなかなか厳しいものがあるんじゃないか…と。

有村 「厳しいもの」ですか?

高橋(博) いろいろな⼈がいた⽅がいいんじゃないかとおもってね。

石山 うん。いろんなことに明るい人が必要だねって。
我々は、ぶっきらぼうだから。
「なんでもやる。だけど、いったいどこから手をつけたらいいのか、ちょっと教えろ」って感じで。
⾏動⼒だけはあるけど、考えるのは苦手でね。
こういう知恵を絞り出してくれる⼈がいてくれるとありがたいな、と。

高橋(博) それで、早川なんかも参加してもらったりね。
スポーツライターの永田さんとか、大友さんとか、松尾さんもですね。

有村 すごいですよね。偶然とは言え…。いや、必然でしょうかね。

早川 もともと、
永田さんも⼤友さんも釜石を調べてたという経緯もあって。
震災をきっかけに、
釜⽯っていうキーワードで繋がるひとたちが集結したわけです。
最初は、行き先すらわからない…。
どこでなにをやるかというのもまとまらない。
でも、とにかく集まったんだから、
このメンバーで、なにかをしていきましょうって、
それだけは決めたんです。
じつは、前々から抱いていたことでもあったんです。
OBのかたたちと、現役の選手たちとが接点を持って、
ひとつの「釜石」として進んでいけたらいいなと。

早川弘治

三笠 誰が言い出したのか、
「OBは、現役にあまり口出ししないほうがいい」というのが、
不文律としてあって。
けど、今回の震災からの復興は話が違いますしね。

早川 奇しくも、この震災で、⼀堂に会した。
松尾さん以下と、今も釜石を知っている⼈たちとが集まって、
前に進んでいく。
このことにはすごく価値があるとおもうんです。
そうして、
結成記者会見を開こうっていうことになったんだけど、
まずは、
この仲間の名前を決めなければ、はじまらないっていう話になって。
それもまた、いろいろ議論を重ねて、最終的に「スクラム釜石」と。

有村 震災から2ヵ月経たないゴールデンウィークに記者会見を開いたのですね。

早川 立ち上げ会見というかたちでね。
「完全復興するまで活動を続ける」という宣言をしました。

三笠 我々が旗を揚げれば、
絶対、たくさんの⼈が助けてくれますよと。
…まさか、記者会⾒まで開くとか、
考えてなかったんですけど(笑)

早川 それがいいきっかけに。
スクラム釜⽯というのが⽴ち上がりましたよって、
世間に広く知られたと思います。

三笠 ⼤友さん、永田さん、
なにより松尾さんって⾔ったら、
ラグビー界以外でも有名人ですからね。
こうなると、逆に打ち上げ花火みたいになって、
ポシャンてならないようにしないといけないなと、
気が引き締まりました。

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