魂を磨く生き方

藤村:さきほど、納谷さんからの『キネヅカ』の話を聴きながら、こんなことを考えたんだけど。僕は言葉遊びが好きだから。

納谷:はい。

藤村:有村さんも言葉遊びが好きだから、きっとこういうこと考えてたんだなって思ってね。まず、みんな「カネヅ(ズ)キ」でしょう?みんな、お金が大好きですよと。だから本当は、できることが沢山あるはずなのに、プライドが邪魔して。「キヅカネ(ー)」と。

有村:おお!

藤村:「キヅカネー」。それから、人の言うことはね、特に若い人の話なんて、絶対聞かない。「キカネーゼ」で、「キカネーヅ」

納谷:本当だ。

藤村:カネヅキで、キカネーヅな人たちに、自分たちが持っている「キネヅカ」を気付かせるっていうね。それで、キネヅカにしようぜ」って言ってやった。これ、言葉遊びを考えて決めたのでしょう?

有村:全然考えていませんでした。いや、これはすごい。

藤村:考えなかった?

有村:思いも寄りませんでした。

藤村:言葉遊びって面白いもんね。僕は言葉遊びが大好きだから。

有村:すごいですよ。ぽんぽん出てくるんですものね。

藤村:きっと、本当はおじさん達はそうなんだね。大変な想いを持ってるのに、そこに「キヅカネー」、人の話は「キカネーヅ(ゼ)」、だけど「カネヅキ」って。

その3つををはずさなくちゃいけないんですよね。はずすって言うか、無理矢理はずすんじゃなくて、もっと違うことにする。もっとワクワクドキドキする方向に飛んじゃえばいいのにね。でも現実には、ワクワクドキドキの反対の方向。深刻になる方に持ってっちゃうから。ますます身動きが取れないんじゃないかしら。ワクワクドキドキが大切ですよね。

それからもうひとつ。キネヅカっていうものを持っているひとはいいけれど、ない人にはどうしたらいいのか。

有村:そうですね。先日、私が非電化工房を訪れて、藤村先生に最初にキネヅカの話を相談したとき、こう言われました。「キネヅカっていうものがあるのはいいけど、ない人は、どうするの?」時代も、常に変化を続けています。例えば、持っているキネヅカが、もう通用しない時代もくるかもしれない。もしかしたらその事業自体、すでに求められない時代に変わっている場合がありますよね。

納谷:なるほど。

有村:その、新しいことをどうやってつくるかっていうことですよね。

藤村:ええ。いま、まさに文明の転換期です。旧文明がどんどん衰退して、そして新文明が世界中で起こり始めているでしょう。下手するとね、これまで培った経験っていうのは、この旧文明の技術かもしれないね。そうするとこれはどんどん衰退していく一方ですから、段々チャンスが狭くなっていく。そのなかに、さらに、自由化っていうことも入ってくるわけです。

「年金生活なんだから給料安くたっていいよ」なんて言ったって、外国から来た人の方がもっと安くなるんですよね。だから、これだけだと、もしかすると苦しい立場になってしまう人がいるかもしれないね。

有村:確かに、右肩上がりっていう時代には、仕事もどんどん増えます。そして増えるっていうのはつまり、スキマもどんどん増えるっていうことです。

藤村:そうですね。

有村:スキマ産業って、結構普通に話しましたよね。スキマでやっていきますって、中小零細でもそこにはめれば、仕事としてなっていったりする。今度、下がっていくと、スキマがなくなって、スキマは大手がとって、というところですよね。

藤村:そして、いまは外国人が埋める、あるいは若い人がいっぱい頑張って埋めちゃう。

有村:そうですね。そういう構造になっていくかな。

藤村:だから、キネヅカには、もうひとつオプションがあったらいいですよね。これまでやったことがないことだからこそ、ワクワクするっていう道。

だけど、その時に「いままでやったことがないことなら、若い人と同列になっちゃうじゃないか。若い人の方が体力があるし、新しい技術の吸収も早い若い人に負けちゃうじゃないか」みたいなプライドがあると、それは上手くいかないんだけどね。でも「それは面白い。経験がないからこそ面白いな」って気持ちになれたらね。変わるんです。

これまでの古い考え方だと、仕事っていうものは、最初っから苦しくて辛いものなんだっていう概念があるけどね。定年後に働くからには「もっと愉しまなきゃ損だ」っていう考え方にシフトしないとね。

有村:愉しい、うん、そうですね。このトークショーのタイトルにも使っている「たのしごと」も、もともとは藤村先生に教えていただいた言葉なんですが、この「たのしい」っていうのは、「楽しい」ではなく「愉しい」です。

藤村:そうです。楽をするのではなく、愉快な働き方です。せっかくね。定年まで社会に、家族に、自分に尽くしてきたんだから。そのためには、もっと内面的なものを磨きたいなっていうね。人に見せるためではなくて、自分が納得できるような内面の充実を図りたいなっていうときにね。

僕はいつも思うことだけれど。カタチっていうのがあります。若い頃はカタチを大切に生きていく、それでいいと思います。美しい顔、スマートなプロポーション、どこの大学卒業か、どこの企業で働いて。どういう役職に就くか。どんな仕事しているか。貯金がいくらあるか。それはそのひとのカタチであって。それは大事なものであるけれど、その人のすべてではない。

もしそれがその人のすべてだとしたら、会社を退職したり、貯金がなくなったりしたら、そのひとはそのひとでなくなってしまうわけでしょう。価値が落ちてしまいますよね。

その人間の価値っていうのは、カタチもあるかもしれないけど、その人の中身です。本質。そのひとのカタチじゃなくて本質を、僕たちは「魂」って言葉であらわすんですけどね。

では、その魂っていうのはなんなのか。僕は、つぎの5つで構成されると思います。

  • 哲学
  • 思い出
  • 生きざま
  • 愛情
  • 感性

まずひとつには哲学です。それも深い哲学です。浅い哲学ではダメ。ふたつめは、目に焼き付いた思い出。「あの時バーに行ったらモテたな……」みたいな、そんな安っぽい思い出じゃなくて、本当に胸に焼き付いた思い出。それから、生きざまとでも言ったらいいかしら。自分は今までこういうことに血を流して生きてきた、真剣に生きてきた。その生きざま。4つめは、いま、自分は誰を愛してるかっていう愛情です。その愛情の中身の充実。最後に、一番大事なのは感性だね。理性ではなく、感性。 何を美しいと感じ、何を優しいと思うかっていうのがあるんですね、それこそが、そのひとの中身。この5つが僕に言わせると魂です。

こういうのを磨いていく。カタチのかっこよさではなくて、「自分が納得いく自分」になるためにね。納得できるかどうかは、有り体に言っちゃえば、その人の知性の問題かもしれない。知性の高い人であれば、納得できると思う。

有村:確かに、高度経済成長時代に働き盛りだった方たちに「なぜ、その仕事に就いたんですか」なんて話を訊くと「そこにその仕事があったからだ」っていう人が結構多くて。無理矢理に自分の気持ちをねじ曲げて、その仕事に就いたっていう人が本当に多いらしいです。

その昔、それしかなかったから、国鉄で働いた。公務員だった……というひとたち。それは、例えるなら、定年行きのバスに乗ったようなひとたちです。定年までは安泰です。でも、定年になると言われるわけですね。

「はい、ここで降りてください。さあ、皆さん歩いてください」って。

そう言われた時に「え?どうやって歩くんだっけ?」っていうところがあるらしいですね。

藤村:うん。そのバスに乗ってね。きっとリクライニングの椅子に座ったりして、それは立派な人生だったかもしれないけど、バスを降りたらね。たいして意味のないものですから。バスに乗っているあいだ、はたして魂を磨くような仕事をしたのかどうか。

そりゃね。もちろん、30年も働けば、1,000や2,000の仕事をしたのでしょうから、10個や20個は魂がこもったと思いますよ。

あのねえ。魂がこもったものは不思議だね。人の魂と共鳴現象を起こすんだね。そういうのは宣伝なんかしなくたって何しなくたって。自然と動き出す。そういうものだと思う。

有村:そのとおりだと思います。

藤村:そういう魂を磨くようなことが、直接、仕事に結びついていくなら、それは面白いことだと思うけど。でも、別に仕事に結びつかなくたって内面的に充実すればね。

「昔取った杵柄」も、それが仕事に結びつけば大変結構だけれど、結びつかなくたってそれはそれで結構。それぐらい緩やかに考えてた方がいいですね。

大事なことはね。せっかくもう60歳にもなったんだから。これからの人生は思いっきり愉しむ。愉しむことを主題にやった方がいい。愉しんで、かつ自分が社会的存在であることを自覚できること。みんな誇り高く生きたいよね。

日々が喜びに満ちていて、そして誇り高く生きられること。大勢の人が求める人生の幸せって、そういうことだと思うんだけど。

だけど、いまのこの国は、年とれば年とるほど誇りをはぎ取っていくでしょう。年寄りを蔑む。憐れむ。そんな世の中では、高齢者は生きづらい。幸せじゃないですね。だから、日々が喜びに満ちていること、死ぬまで誇り高く生きられるっていうことが、きっと何よりも大切なんだ。そのことと仕事が結びつけば、収入なんか少なくたってなんぼのもんじゃいってね。

有村:喜びに満ちて、誇り高くとは、丁寧に暮らすということですね。

藤村:それが幸せの第一歩なんじゃないかな。

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